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2016.11.10

日本の洋食は築地から普及した

○ 日本に、洋食が入ってきたのは、幕末から明治にかけて開港した函館、新潟、横浜、神戸、長崎の地からといわれています。しかし、本格的に、日本に洋食を普及させた地は、『築地』からだといわれています。

○ 幕末から明治にかけて、日本人による初の本格的洋式ホテル『築地ホテル館』が、築地にできました。当時、清水組(現清水建設)の二代目・清水喜助が幕府に願い出て建築したものですが、完成した時は、すでに幕府は瓦解し、江戸は東京と改められた明治元年でした。

明治新政府は、東京開市に合わせて築地に外国人居留地を開設して外国人向け施設の整備をしました。この『築地ホテル館』も、その一環として利用されました。

  • 完成したホテルは二階建ての本館(一部三階塔屋付)、102室、水洗トイレ、シャワー室、食堂、バー、ビリヤード室を設けたものでした。この食堂で、朝食からディナーまで、本格的な洋食が出されたということです。

この『築地ホテル館』で、料理長を務めたのが、フランス人ルイ・ベギューでした。このホテルは、明治5年2月、『銀座の大火』で消失します。ルイ・ベギューはその後、『横浜グランドホテル』の料理長や『神戸オリエンタルホテル』の社主をつとめ、わが国へフランス料理を広めた一人といわれています。

○ 明治5年2月、岩倉具視の支援で、築地に現存する日本最古の西洋レストラン『精養軒ホテル』(初代料理長スイス人カール・ヘス)ができました。東京には、外国人を接待する本格的施設がなかっためです。しかし、開業当日、『銀座の大火』で『築地ホテル館』とともに、全焼してしまいました。

『精養軒ホテル』は、その後、小規模に再開し、翌6年には、『築地精養軒』と改称し、本格的再建は明治8年になりました。明治9年には、上野に『上野精養軒』として、レストラン中心の支店を出します。大正12年の関東大震災で『築地精養軒』が消失した後は、この『上野精養軒』が本店機能を引き継いでいくことになります。

○ 築地の地には、幕末まで江戸幕府の『海軍伝習所』が置かれていました。その関係で、明治新政府になってからも、築地に海軍省がおかれました。当時、日本は、一日も早く外国に追いつくことから、海軍士官は、『築地精養軒』で、食事をして外国のマナーを身につけることを勧められました。このため、『築地精養軒』の名前は、さらに広まっていきます。

明治から大正にかけ、『築地精養軒』は黄金期を迎え、フランス料理のコックを目指す人達が修行に集まってきます。天皇の料理番として有名になった秋山徳蔵、フランス料理の王様エスコフェに学んだ西尾益吉など、数多くの料理人を輩出しています。そして、その弟子達が日本全国に、洋食を広めていくことになります。明治23年、帝国ホテルのオープンには、コックに『築地精養軒』出身者が、数多く採用されたといわれています。

※参考資料 『上野精養軒』会社概要

 

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